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      <title>スタントンチェイス</title>
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         <title>「下野稔の代表ブログを更新しました。」 [ニュースリリース]</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.stantonchase.co.jp/03exblog/shimono/log/2012/02/post_52.html">「確信犯」・・・人とは判らないものである。</a>]]></description>
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         <pubDate>Wed, 01 Feb 2012 11:27:51 +0900</pubDate>
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         <title>「確信犯」・・・人とは判らないものである。 [下野 稔の代表ブログ]</title>
         <description>最近、ある製造業から依頼を受け、製造責任者をお世話した。「誠実さ」が背広を着て歩いている様な方であった。大変失礼ながら、一見風采がぱっとしない５０前後のおじさん風とも言え、外見に拘らないというか、敢えて「どん臭い」雰囲気を作っている。語り口が独特な臨場感があり、「いやー、下野さんはいつもおしゃれでバリっとしていて羨ましい。私なんぞは足元にもおよびませんし、第一おしゃれしても似合わないんですよ。」などと人を持ち上げて、自身を必要以上に卑下する習性をお持ちであった。学歴もご立派で、大手電機メーカーで長年勤務し、その間、特待生としてアメリカの一流大学院でＭＢＡも取得されている。その後、海外赴任を幾つかされた後転職され、ある製造業の製造最高責任者をされていた。

私は日頃から、「人は見た目が９割」という意見には賛成で、特に男性の場合は、過ごしてきたキャリアが顔や雰囲気に醸し出されてしまうのである。私は生来おせっかいな部分があり、また、クライアント側の経営陣も全体の雰囲気を重視する文化であった為、その候補者に、いろいろアドバイスを行ったものである。あまり自分を卑下する傾向はほどほどにされた方が良い点、また服装の最低限のマナーや、インタビューの受け答えの基本的なことなどなどである。「少しどん臭い部分はあるが、実力はありそうだし、実直そうなところが信頼できる」というクライアントからの評価で採用がめでたく決定した。

数日後、その候補者と入社前の軽いお祝いの宴席を設けた。少しお酒が入ったせいもあろうか、弊社のリサ―チャーの前で、彼の独壇場が始まったのである。そう、自分を卑下するエピソードのオンパレードとなった。例えば、今回の転職に当たり迷っている自分を見て、家内から「器の小さい人ねぇー。昔は、「洗面器」ぐらいかと思ったけれど、今はまるで「おちょこ」だわ。」と言われてしまった・・・とか、入社日が近づくにつれ、自分の「猫さかげん」が周囲の人にばれてしまい、なんだ「（虎ではなく）猫だったんだ」（大したことの無い人なんだ）、と烙印を押される夢をみて、心臓がバクバクして最近眠れない・・・とか。如何にご自身がドジで、格好が悪く、小心者で、しかし案外欲が深いことを具体的なエピソード付きで連綿を語られるのである。

それを聞いていて、私はもしやと思ったのである。「ははーん、これは確信犯だな。」と。

分析するのは野暮なことではあるが、エクゼクティブ・クラスでこの種の人材にあった経験があまりなく、自分としては驚きであった。何とか自分を良く評価してもらおうとするのが人の常ではないか・・・

自分に対する深いプライドを持ち、周囲からある一定の評価を受けていることを自覚しつつ、対人関係においては自分を必要以上に卑下し、相手を高めることによって、安定した自分のポジションを得ようとする人々がいる事を、私はいい歳をして知った。決して悪い意味ではなく、その卑下の仕方が堂に入っている。風采も冴えないおじさんを装っていて、時々ドジなことも平気でする。その後序序に実力を示しそれに周囲がどう反応するかを楽しみにしている、どちらかというとあまり趣味の良くない人種ではある。（笑）

私が、「ｘｘさん、そのスタイル、実は確信犯なんでしょ。」と水を向けると、いよいよお酒のピッチが上がり、嬉しそうに語り口はフル回転となった。
特に製造現場の人々に対し、上から物を言う様な態度だと、なかなか本音を語ってもらいにくい。相手につけいる隙を与えるのも、一つのリーダーとしてのコミュニケーション・スタイルではある。生き方のスタイルまで昇華されていれば、当方も文句は無い訳である。あの風貌とスタイルで、アメリカ仕込みの流暢な英語が飛び出してくるのだろうか？ひょっとすると、日本のグローバル製造業はこの様な方々の圧倒的な現場感とお人柄に支えられて来たのかもしれない。私共の見方が扁平であった・・・。

人生は複雑であり、人とは判らないものである・・・</description>
         <link>http://www.stantonchase.co.jp/03exblog/shimono/log/2012/02/post_52.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">ビジネスコラム</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 01 Feb 2012 10:27:48 +0900</pubDate>
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         <title>「下野稔の代表ブログを更新しました。」 [ニュースリリース]</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.stantonchase.co.jp/03exblog/shimono/log/2012/01/post_51.html">「狭き門」へのチャレンジ</a>]]></description>
         <link>http://www.stantonchase.co.jp/00news/log/2012/01/post_121.html</link>
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         <pubDate>Tue, 24 Jan 2012 17:55:44 +0900</pubDate>
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         <title>「狭き門」へのチャレンジ [下野 稔の代表ブログ]</title>
         <description>前回、トップ案件で敢えて異業界の事業再生案件にチャレンジをされた方の例を挙げた。（具体的に書けず、面白さや臨場感に今一つ欠けてた様に思う・・・）ところで、最近、「人」は人生の節目、節目で、何故「狭き門」にチャレンジせねばならない様な構造になっているのだろうか？と考えることがある。

「人」というのは「ひとかどの人」という意味で、すべての人という意味ではない。ある程度世の中の酸いも甘いも体験された自立した大人というニュアンスも含まれている。常識にとらわれず、自分の価値観で物事を判断できる人という意味でもある。世に言うリーダー達である。「狭き門」とは、そう、後述のキリスト教の「狭き門より入れ」の意味で、一見困難な、人のやりたがらない、世間体も待遇もあまり良くは無い、が、よく考えてみるとチャレンジに足る、そういう機会に挑むという意味である。私共の様に人の人生における重要な判断に連続して立ち会って来てみると、ビジネス如何にかかわらず、一体何故人はチャレンジせざるを得ないのか？という素朴な疑問と、チャレンジしないとどういう事が起こるのか？について思いを馳せることになる。何故ならば、あの時あの方はチャレンジした、あの方はしなかった、ということと、その後のキャリアにおけるＢｅｆｏｒｅ　Ａｆｔｅｒを連続的に長年に亘って拝見することになるからである。

私は、ずぼらで小市民、時に損得で動いてしまう、しかも怒りっぽい。しかしたまにはチャレンジしたかな・・・という自らを振り返り、人は何故狭き門にチャレンジするのか、という疑問を抱き続けて来た。古くは有名なキリスト教の、「狭き門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出す者は少ない。」とは、キリスト教の有名な「マタイによる福音書」の７章１３～14節である。そこまで大袈裟な話でなくとも、節目の判断で、周囲から「何故、その様な道を選ぶのか？止めとけ、止めとけ、無難な人生の何が悪い？」と言われつつ、何か運命的に狭き門を選んでしまうことがある事は、ある一定数の方々が経験されている筈である。手前味噌だが、１３年前、小職が外資系ＩＴ企業から現在の職業に転職した時も同じことを言われたものである。

そう、失敗する事も多いのである。あまり大そうな事は言えないが、最近の日本人全般にはびこる「安定・安全志向」や「横並び」に対する執着には異常なものがある。グローバルに見ると全く話にならないし、まるで子供である。日本人の尊いメンタリティとして、機に及んでは決して「損得」で判断してはならない、という文化もあった筈なのだが、最近は一体どうしたのであろうか？・・・少し力が入ってしまった。ひとごとを外から眺めて、云々することは容易い。問題は自分の問題として捉えた時、その様なチャレンジが出来るか否かなのである。これはその人の「生き方のスタイル」にも深く関連している哲学的な問いかけでもある。ただし、我々凡人にはなかなか難しい事なのだが、歴史的にこの様な道を選び「命を得ただろう」、と思われる人々の具体的な事例を挙げれば、意外な程に多い事にいまさらながら驚くのである。

古くはイエス・キリストや仏陀をはじめとして偉人や芸術家と呼ばれる人々は共通してこの様な道を選んでいる。現代でみてみると、スティーブ・ジョブスやハーバード大学を中退したビル・ゲイツをはじめとする国内外のベンチャー起業家たち、国内での安住を捨てアメリカ大リーグにチャレンジした野球選手たち、桐朋音大から国内での活動を打ち切り、コネクションも無い当時の一流の指揮者バーンスタインに強引に弟子入りした指揮者小澤征爾氏、イタリアに単身で渡り、長年ローマ史を研究し１５巻に及ぶ長編歴史大作を描き上げた作家の塩野　七生氏、晩年女優をかなぐりすててユニセフ大使としてアフリカに骨を埋めたオードリー・ヘップパーン女史、などなど挙げれば枚挙にいとまがない。市井の無名だが心ある人々の例は更に累々と積み上がっていることだろう。いずれも体制や現在の安住を捨て、敢えて辺境に身を投じた人々の連綿とした歴史がある。

翻って、私共の廻りの方々を見廻すと、私共のお世話した企業経営者、ＣＦＯ、営業本部長、マーケティング本部長、工場長など、様々な形ではあるが、「体制側からリスクを承知で、辺境へ身を投じ」ている方々が意外に多いことに気付き、はっとする。その際、チャレンジにリスクがあるのは確実で、そこでの成功は誰も保証してはくれないのである。そういう経験を多くこなされている方々の中には、苦境から安泰状態に回復できたところで、その環境に安住するのを良しとせず、次の機会にチャレンジしてゆく方もいらっしゃるのである。全神経を集中して困難なゴールにチャレンジしている時には、時としてその人の能力以上のものが発揮され、それが人を大きく成長させるのかも知れない。環境に安住し自己の能力のストレッチをしない人種と比べると、同じ能力でもチャレンジする側に軍配が上がる様に思える。また幾つかの修羅場を経験されている方は、危機対応の予行演習がなされていて、本当の危機に際しても案外どっしりとしているものである。安定一辺倒の人生で初めての大きな危機に直面すると、余程の方でも慌てるものだそうである。もしや、一見、安住の地に居続けようとする事自体が、その方の人間形成にとっての本質的なリスクなのか？そう考えると何か安心する。少なくとも、「魂の自由」という様なものを結果的に得ている例が多い様な気がするのである。

私共の案件の関連でも、今この時点でも数人から数十人の方々が、人生の節目でチャレンジするか否か、うんうんと悩んでいらっしゃる、と思う。まだその機が熟していない為チャレンジするのは早計であるケースもあるのだろう。従って、組織の大小や企業の成長ステージは別として、ある辺境へのチャレンジには、不思議と何か偶然性の強い「そうせざるを得ない要素」が絡んでいる事が多い。「機」を仕組まれている感覚である。但し、その「機」を気付く人と気付かない人には分れてしまうのは厳然とした事実である。また、面映ゆい表現だが、「私を捨て世に返す」要素が重なると、辺境へのチャレンジも、常識的な成功、不成功はべつとして、一本筋の通ったものになる傾向が強い。その当人の顔が立派に見える様になるのは、私だけだろうか？元旦のテレビ番組で偶然にも晩年のオードリー・ヘプパーンの素顔が放映されていた。アフリカで最貧民地区の子供を抱いている。何とも言えない充実した、人生の酸いも甘いも噛み分けてきた立派な顔をされており、大変感銘を受けた。こうしたことは不思議であり、大変面白い現象かと思うと同時に、立派な顔を作る為にもしや人は生きているのかも知れないとも感じたのである。

こう書いてみると、チャレンジしないのは「人生の大損」の様な気もする。（笑）しかし、チャレンジしない人も多いのも現実である。

「狭き門へのチャレンジ」をする気骨のある方々に幸あれ・・・</description>
         <link>http://www.stantonchase.co.jp/03exblog/shimono/log/2012/01/post_51.html</link>
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         <pubDate>Tue, 24 Jan 2012 16:27:37 +0900</pubDate>
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         <title>「下野稔の代表ブログを更新しました。」 [ニュースリリース]</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.stantonchase.co.jp/03exblog/shimono/log/2012/01/post_50.html">あるトップ案件を終了して・・・</a>]]></description>
         <link>http://www.stantonchase.co.jp/00news/log/2012/01/post_122.html</link>
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         <pubDate>Thu, 05 Jan 2012 13:30:29 +0900</pubDate>
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         <title>あるトップ案件を終了して・・・ [下野 稔の代表ブログ]</title>
         <description>謹賀新年

昨年の年末にようやく決まったある国産の上場企業のトップマネジメントの案件がある。こういう案件は日本ではまだまだ希少である。いつもながら学ぶ点が多かったプロジェクトだった。始まったばかりの時点で震災による中断、最終候補者（ファイナリスト）の面談を終えた時点での求人仕様の変更、企業のリストラを同時並行に進める中でのタイミング調整による意志決定の遅延もあった。しかしながら、なんとか決定に漕ぎつけることが出来た。大変幸運な事だと思うと同時に、大きな他力が働いたという感が強い。五月の株主総会を経ない段階なので、あまり具体的な事は書けない状況ではあるが、概況を振り返ってみたい。

「人生において不幸の原因は様々である」・・・とは良く言われる話であるが、企業も全く同様で、栄枯盛衰やその企業の成長性に陰りが見え始める要素もまた様々に思える。国内市場の飽和化、少子高齢化、企業の取り込む会員数の維持や新規獲得の限界、またそのビジネスモデル自体長年の環境変化に追随出来なくなって来ている事、トップマネジメントが新しい方向性を示し、競合の中でそれを成長させるリーダーシップを発揮出来ないなどなど。まさにそういう際、外部から新しい血（人材）を引きいれる必然性が生まれ、昔からトップ人材の外部採用というのはそういう役割を担って来たと認識している。この案件もその例外では無く、上記の幾つかに当てはまっていた様に思う。

さて、その業界では大物経営者と言われる幾人かの候補者とクライアントとの面談プロセスを通して、私は何か違和感を感じていた。そういう方々をその場に連れ出すのもなかなか骨の折れる作業なのではあるが、大物経営者と言えども、この方々が当該企業の抜本的な再建を果たすことが出来るかどうか？という点である。企業経営とは複雑なものである。求人仕様が合っていたとしても、当該企業との相性がいま一つの感があるというその一点でもなかなか成功は覚束ない。そこでクライアントと今後進むべきビジネスの方向性を再度、詳しくインタビューしディスカッションを重ねた。その中で、今後の成長に向けて求められる資質のある点に注目し、全く違った発想で異業種の経営者人材を六本木の会員クラブにてクライアントに引き合せたのである。

面談の席上、候補者は経営者としての成功体験や実績を得々として語るのが通常であるが、その候補者は、とつとつと自身の経営の失敗談を具体的に臨場感を持って語り始めたのである。既に新聞紙上などで発表されている事実関係と「ああ、そこで繋がるのか・・・」と整合性があり、苦労された経営の表裏を淡々と語るその語り口には、ある迫力があり不謹慎ながら大変面白い話であった。クライアントからも現状及び将来の展望を赤裸々に話して頂いた。結果、妙な手ごたえを私共も、クライアント側も、候補者も、三者三様に感ずることが出来たのである。

今回ご縁があった候補者は、私流に言うと、「突き抜けた価値観」をお持ちであった。厳しい環境変化を何回も経験する中で、人はその対処能力を身に付けて行く。トップマネジメントもその原則は変わらない。業種、規模、成長ステージ、カルチャーの異なる様々な組織をマネージすることで、経営者はマネジメントの幅を広げてゆく。異なる環境の持つ個性を尊重しながら、それぞれの環境下で変わらぬマネジメントの真理や本質を発見出来る。「突き抜けた価値観」を持つとは、そういう意味かと思う。日本のトップの場合、多種多様な環境を経験している方の絶対数が少ないのは残念なことである。一方、外資系の日本社長には多種多様なマネジメントの経験者が多い様ではあるが、グローバル外資企業の日本支社長のポジションは、本質的なＰ＆Ｌやキャッシュ・マネジメントを経験されている方は少数である。その方は、グローバル外資系企業でオペレーションやマーケティングを極めた上で、国産の老舗上場企業のトップを務めた経験の持ち主だった。言わば、外資系の持つ戦略性と国産企業の持つ実行力の双方を体験されて来た。

経営者は相矛盾する二つ以上の側面を持たざるを得ない。大局を見ながら、詳細にもドリルダウン出来る。繊細でありながら大胆である。直観的でありながら、綿密で計算高い。慈悲的でありながら冷酷である。善人でありながら悪人になりきれる。経営者とは刻一刻と変化するＩｓｓｕｅに対し、複雑な意思決定を連続して下さなければならない。手順前後による失敗が許されない孤独な立場である。経営者とは、一見「対局にある正反対の資質や相矛盾する価値観を同時に併せ持つ必要がある」典型的な職業の一つではないか？と最近つくづく思う。でなければ、複雑な意思決定が出来ず、失敗と判った時点で迅速に撤退も出来ないのである。

前述でこの案件の決定に「他力」が働いた感が強い・・・と書いたが、それは経営者を取り巻く眼まぐるしい環境変化を指している。それは経営者自身の心情にも影響する。逆に言えば、その経営者と言えども「その価値観が変化してゆく」ことを前提として面会せねばならないのだ。だからこそ現職であれ、タイミングによりこちらからの説得の余地が生まれる。なかなかコンフィデンシャルな事は開示して頂けない訳だが、情報を綿密に取り事実関係から仮説を立てて行くと、経営者の現在の環境に関する「当たらずとも遠からず」の推理が出来るものである。一つの反復訓練であろうか？その仮説と、当該案件の魅力部分を天秤にかけるのである。

そして、震災・・・。これは予期し得ない大きな環境変化であった。当初の３か月程度はどの企業もその対応特別プロジェクトが社内に敷かれ、通常ビジネスの復帰に躍起になった。一時期は日本に進出している外資系などは日本市場からの撤退や、日本企業を自社のサプライチェーンから排除しようとする動きがあったのではなかろうか？経営者の心理にも深く影響した筈である。具体的に言うと、今回の候補者も震災前と震災後では、私には大きくイメージが違った人に思えた。伺ってみると、今回の候補者の身の上にも、震災地区の工場稼働の停止に伴うビジネス・インパクトなど、ビジネスの影響は勿論、複雑な心理的変化もあった様である。逆に考えると、様々な意味でこの震災無しには、このプロジェクトは成就し得なかったのではないか？と今更ながら思うのである。下世話な言い方ではあるが、私共にとっては、一体何が功を奏するかは予測がつかないのである。

誤解を恐れずに言うと、「相手の立場を考えて行動できる」という資質を持つ経営人材は少ない。トップは何かとぎりぎりに追い詰められている事が多いため、自分の立場を守る（維持する）為には、売上、利益、キャッシュなどの基本要素を整える必要があり、他人の事まで頭が回らないことが多い。それが１２年間様々な経営者と相対して来た正直な感想である。それはあながち悪い局面ばかりでは無い。時には強引に突破しなければならない事はある。そんな激しい環境の中でこそ、「相手の立場でものを考えられる資質」は貴重なのだ。今回決定した候補者は、その貴重な例外であり、それがクライアント側のハートを掴んだのかも知れない。

もう一つ、「素直で正常な台所感覚」をキープされている方であった。経営者これみよがしのところが微塵もないのである。台所感覚とは、いつも平民の感覚をお持ち、という事である。これは経営者の中では、「突き抜けた価値観」を持っていることに繋がってしまうところが面白い。言葉を換えて言えば、「常識にとらわれず、自分の価値観を持つ」という訓練を積み重ねていらしたのだろう。でないと、一般的に見ると「火中の栗を拾う」立て直しの案件である。積極的にアプライはされないだろう。候補者が拘られたのは二つ。一つは、身を粉にすることで、自分が企業再建に何とかお役に立つのではないか、いう予感が出来ること。もう一つは、人々の健康とサービスに貢献できる仕事であること、というシンプルな拘りであった。

採用決定は、まだ最初の序章に過ぎない。今後入社され当人がどれほど活躍されたかが、我々の価値の問われるところではある。しかしながら、トップマネジメントが活躍できるか否かは、ご承知の通り大変複雑な要素が絡んでくる。様々な荒波をくぐられ、氏が本来の力を発揮され活躍されることを心よりお祈り申し上げる。
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         <link>http://www.stantonchase.co.jp/03exblog/shimono/log/2012/01/post_50.html</link>
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         <pubDate>Thu, 05 Jan 2012 11:33:25 +0900</pubDate>
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         <title>「下野稔の代表ブログを更新しました。」 [ニュースリリース]</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.stantonchase.co.jp/03exblog/shimono/log/2011/12/post_49.html">「実行の徹底」　現場（野に）降りて行くこと・・・</a>]]></description>
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         <pubDate>Tue, 13 Dec 2011 12:11:16 +0900</pubDate>
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         <title>「実行の徹底」　現場（野に）降りて行くこと・・・ [下野 稔の代表ブログ]</title>
         <description>ある案件で、コンビニエンス・ストア業界の経営陣数人に会う機会に恵まれた。それぞれ、業界売上トップ、第二位、第三位の会社の現経営陣であり、面白い事にかつてトップ企業におり、現在第二位、第三位の会社に在籍していたり、その逆だったりする方々で転職経験が皆無の人はいらっしゃらなかった。第三位を基準に比較してみると、売上規模は、１．７　対　１．４　対　１．０　の比率に対し、営業利益は、４．０　対　１．４　対　１．０であり、純利益に至っては、６．０　対　１．４　対　１．０という比率となる。（平成23年2月期）　第一位の会社の収益性がダントツであることが判る。二位と三位は売上規模の差がそのまま収益率の差になっているが、一位の企業の収益率差は売上規模とはリンクしていない。我々からみると、失礼ながら同様のサービスを提供しているかの様に見えるが、経営的には圧倒的な差があるのである。大変興味深く、何か秘策があるのか？何故こうなるのか？という質問をそれぞれの経営幹部に伺ったところ、皆さんから共通して出てきた言葉は、「実行の徹底度が異なる。」とのことだった。それぞれの会社に２社以上在籍経験のある方々の意見なので、信憑性がある。

我々も様々の企業を見て来て、「戦略」がどれ程優れていようと、「実行力」の差が企業力の差になる事が多い事は経験的に知ってはいるつもりである。多少、ボンクラな戦略であっても、徹底してそれを実行できるか、継続できるか？今あるリソースをどれだけ使い尽くすか？により、優秀な戦略を立て、実行力の弱い企業を上回る事ができるのである。しかしながら、これほど顕著な事例が身近にあることは大いなる驚きであった。

「実行の徹底度」といっても、コンビニの場合、日々の細かなルーティンワークの積み重ねである。フロントで売上に対する接客・接遇や各種サービス、店づくり、バックヤードでの商品の仕入れ、売れない製品の改廃や陳列技術など、本当に細かい作業の連続であり、「地道なルーティンワークの徹底」という見方が出来る。８０００店舗から１０，０００店舗に及ぶ組織なので、その徹底の仕方には独特のノウハウがあるのだろう。

さて、翻って我々コンサルティング業界の中にも、戦略立案から実行に至るプロセスがあり、その間に様々なルーティンワークが介在している。我々の仕事の職掌として、コンサルタント職とリサ―チャー職及びアドミニストレータ職という３種の仕事が存在する。とかく我々コンサルタントは、候補者の探索戦略の立案や、顧客や候補者との接点に関するデリケートな部分を担い、たしかにクリティカルな部分ではあるが、探索はリサ―チャーに、アドミはアドミニストレータに任せてしまう傾向が強く、プロジェクトが渋滞した時に「野に」降りて行って具体的なサポートが出来るかどうかがチームの指揮やパフォーマンスに影響するのである。職掌分担は重要ではあるが、そのチームの人員を使い尽くし、職掌の隙間を埋め、プロジェクトの活力を取り戻させるのはリーダーの役割である。特にリサ―チャーやアドミニストレータに、彼らの仕事がフロント側（顧客や候補者）にどう貢献しているのかをフィードバックし、臨場感をキープすることが出来るかどうか？は、大変重要であり、それこそが利益率やパフォーマンスの改善の鍵なのだろう、と最近気付き始めている。

一般論として、どの様な仕事であっても、一見、生産性の高いと思われる仕事のみに集中することこそ、私の仕事であり、ルーティンワークを軽視する経営陣を見かけることがあるが、これでは人心を掌握することは難しく、あるスパン（期間）で見て行くと必ずしも成功しないケースが多いのだ。これは、自分が活躍しておられるのも、細かい、地道なルーティンワークをこなしてくれている人々の御蔭であることを「身に沁みて」判っていないという幼稚性を示しているに過ぎない。何故なら、組織のサイズを小さくしてみると、ある人が体調がすぐれず休めば、即ルーティンワークをこなさなければならず、それは顕著に現われる。所謂大企業に長年勤めた方でも、途中で海外へ赴任して苦労したり、子会社に転籍してある「小さい組織」の成り立ちを考える機会に恵まれれば判るのである。

その際、重要な点は、「ルーティンワークの地道な徹底」と、その中にこそ、「本来の改善」の余地が残されている事を発見し愕然とすることなのである。実行段階にはこの様な微妙な事が隠されていた。「自分は何も知らなかったのだ・・・」この内省が経営陣にとっては、大変重要で、「私は高級な仕事をしているから、とてもそんなくだらない仕事は出来ない・・・」という態度は未だあちこちでみかけるのであるが、これではリーダー失格である。「現場に（野に）出て行って、真実を知る」、それを経営サイクルに巻き戻して戦略を修正する、多分、コンビニ業界第一位の企業はこのサイクルを誰よりも速く、正確に、地道に、日々継続しているのだろう。
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         <link>http://www.stantonchase.co.jp/03exblog/shimono/log/2011/12/post_49.html</link>
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         <pubDate>Tue, 13 Dec 2011 11:35:38 +0900</pubDate>
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         <title>「後は野となれ」・・・下野（げや）するという事。 [下野 稔の代表ブログ]</title>
         <description>人生はなかなか予定通りにゆかないものである。また、甘んじて背負って生きねばならぬ荷物があることも多い。大袈裟かも知れないが、名前の存在もその一つである。よく何故こんな名前を付けてくれたのか？と悩んでいる人の話を聞く。大抵は「姓」ではなく「名」の方の悩みがほとんどで、「姓」はその家の屋号でもあり変更などは現実的ではない。自分の姓（下野）の由来について、よくは調べてはいないが、その意味するもの、について何かネガティブなイメージがあり、昔からあるコンプレックスを持っていた。一生この名前か・・・(笑)。ところが最近になって、それほど悪い意味でもないのではないか・・・と思えるようになって来たのである。

本来、下野（げや）するとは、ビジネスや政治の表舞台から去って、再び広い野に出て自らの価値なりを一から見直し、再起を図る、という意味がある。私自身、３０年余りビジネス界に身を置いていて、従来のステレオタイプの価値観では世の中の流れや変化に対応できなくなることが多い事を経験している。10年だとまだ判らないが、20年のスパンで世の中の流れを見て行くと、世の中は一変しているものだ。昨日の勝者がその奢りゆえに、またその強みが足枷となって衰退してゆく様な事は、ある一定以上の年齢の方々であれば皆経験しているに違いない。

日本では長らく平和ぼけが続いてしまった様だ。が、今回の震災や電力事情、歴史的な円高、ユーロ不安、かつて最強を誇った家電業界の凋落傾向などなど、予見できぬ事が連続した一年だった。人生とは、予見できないものの連続であるという大前提に立って、自分自身を一旦「野に放ち」、権力や組織力や金銭や競争から逃れ、自身を矮小なものと再認識し再起を図るという姿勢、いわゆる「下野（げや）する感覚」というのは、実は重要でかつ必要な人生の知恵ではあるまいか？という考え方が出来る様になってきたのである。

ポストに執着し後任人事にまで強い影響力を及ぼすことで、その企業の成長にとって「老害」的な役割となってしまったり、仕事熱心すぎて、間違った方向に一生懸命頑張って部下を犠牲にして平気でいたり、また、その組織が成長期をとっくに過ぎていて衰退期から逃れられない運命を辿っている事が明確であってもまだ大きな組織にしがみついていて、自分自身の価値を市場に問うことが出来ないでいる多くの人々を知っている。

自分自身もそうであったが、皆、一旦ゼロクリアしてみることが恐くて仕方がない。ゼロクリアすると、実は不思議なほどの開放感があるのに・・・。しがらみから解き放たれ「魂の自由を得る」と言ったら大袈裟だろうか？これは大きなストレスを抱えている人にとってはプライスレスの価値にもなるだろう。小職も１２年前に転職した最大の動機は社内の役員間のポリティクスであった。その狭間の中にいて、だんだん顧客に目を向ける時間が取れなくなっていった。ある時家内から、「最近、顔つきが悪くなったわよ。」と注意されたのである。これはいかん！とゼロクリアすることを試みたことを懐かしく思い出す。

考えてみると、それほど捨てるに惜しいキャリアは、世の中にはそれほど多くは無い。ある一時の成功は実は自分だけの手柄ではない。世の時勢や、他の多くの上司、同僚、部下、パートナーに支えられ、辛うじて実った果実なのではないか？翻って、大きなな失敗や挫折も、その責任をすべて自分に帰さねばならぬほど、世の中は単純ではない筈である。今、どの様な価値に貢献出来ているか？をこそ問うべきであろう。

結果的にゼロクリアする方が再起するには有効な手段である事はおぼろげながらも判っていても、人々の現状に執着する力、変化を嫌う性向は恐ろしく強固である。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。」とか、「後は野となれ」など、故人は実に素晴らしい言葉を残している。順風満帆なだけが人生ではなく、苦境に立った時にどう考えることが出来、その中からまた立ちあがってゆけるかは、長く人生を生きて行く為の知恵であり、免罪符である。なんとそれらの事が「下野（げや）」という言葉にも深いところで繋がっている様な気がする。

ということで、下野（げや）する感覚というのは貴重であり、後進に道を譲り人を育てるという意味でも、なかなか味のある態度だなぁ・・・と最近はっと気がついた次第である。自分としては長年のコンプレックスから解放されたかの様で嬉しかった。熟年を生きてみるものである。最近まで気付かなかったのが、お恥ずかしい限りではあるが・・・</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">ビジネスコラム</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 14 Nov 2011 15:28:06 +0900</pubDate>
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         <title>「下野稔の代表ブログを更新しました。」 [ニュースリリース]</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.stantonchase.co.jp/03exblog/shimono/log/2011/11/post_48.html">「後は野となれ」・・・下野（げや）するという事。</a>]]></description>
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         <pubDate>Mon, 14 Nov 2011 14:18:54 +0900</pubDate>
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         <title>「下野稔の代表ブログを更新しました。」 [ニュースリリース]</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.stantonchase.co.jp/03exblog/shimono/log/2011/11/post_47.html">45歳前後の転職</a>]]></description>
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         <pubDate>Tue, 08 Nov 2011 17:29:46 +0900</pubDate>
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         <title>45歳前後の転職 [下野 稔の代表ブログ]</title>
         <description>「転職のきっかけ」にはどの様なものがあるのだろうか？私共は、よくプッシュ要因とプル要因に分けて考える。プッシュ要因とは、現職の環境から出ようというモチベーション、プル要因とは、新しい仕事に対する魅力（モチベーション）である。両者がバランス良くシェイクハンズ出来た時に転職が成立すること知られている。逆に言うと、どちらか一方だけの場合には現実化しないことが多い。

プッシュ要因として、判り易い動機は、会社の将来性に不安、上司と上手くゆかない、裁量権が無い、キャリアパスに限界を感ずる、やり尽くし感があり新しいチャレンジを求めている・・・などが多く聞かれるケースである。プル要因としては、会社の将来性が自身のキャリアパスにとって有益、裁量権の拡充、事業への意欲、経営者志向、社会貢献などが挙げられる。人にはそれぞれの事情があるので、どれが正しくどれが誤っているという事では勿論ないが、我々のキャリア・コンサルティングには、競合となるであろう人材とのベンチマークや、人材を評価する様々なケースのテンプレートなど、ある客観性が求められる。しかしながら、我々の意見は、どんなに優れたコンサルティングをしたとしてもあくまで参考意見であり、転職は候補者個々人が深く考え行動に移すべき問題であることは論を待たない。

特に我々は現役のエースを主なターゲットにしているので、最初から転職を前提としていないケースが多く、ともすると「転職」を無理強いしている様で、矛盾を感ずることがある。しかしながらよく考えてみると、現実はそうでも無いのである。何故ならほとんどすべての候補者には、「キャリアに対する潜在的な欲求」があるからである。判り易く言うと、「良い仕事をして良い立場を得たい」という健全な欲求である。

社内外のどこで働くとしても、常に「自身の市場価値を精査しておく習慣」は欧米など海外では顕著である。個人主義の徹底のせいだろうか？プライベートでも幸福な夫婦間でもいつ愛情が冷めるかは判らないという前提に立って、来たる時に備えて男女とも常に心身をブラッシュアップして自立していようとしている様は、ある意味我々日本人には参考になる。この辺の事情はかなり日本人のメンタリティとは異なっていて、善悪の問題ではなく、過酷な現実を見据えて行動する習慣は、どうも最近の日本人は幼稚化していて希薄である。政治家もマスコミもビジネスマンも、「表面的な善の側について、一見悪に見えるものをよく吟味せずただ批判している立場にいることが出来ればそれで安心・・・」という様なひ弱な輩が多い様に感ずる。グローバル市場の中で、善悪の判断も価値観や習慣の相違も存在する事を認めて、自己を客観視する訓練は重要である。

さて、４５歳を前後して大きく価値観が変わってゆくだろう時期の候補者を見る度に、私は気になるのである。特にはじめての転職がこの時期になる方はよけいに気に掛る。是非成功して欲しいという気持ちとリスクも高いという気持ちと・・・。２０歳台、３０歳台の転職は、勿論本人にとっては重要であることは勿論ではあるが、ある経験やノウハウを蓄積した上での４０歳台の転職は、それなりの理由とバックグラウンドを深く理解する必要があり、また、ご本人にもある「覚悟」が伴っているケースが多い。「受ける」側から「返す」側に転換してゆかねばならない年代である。何をどこに返すのか？は人それぞれではあるが、返したり、育てたりする事に喜びを感じ始める年代である。だからこそ我々としては慎重になる。何故かと言うと、転職経験者は容易に想像できると思うが、求められるスキル・セットが完璧でも、行先が成長企業なり優良企業であり年収がアップしたとしても、一回目の転職は何かと複雑な要素が絡んでくる。意志決定のプロセスやスピード、カルチャー・フィッティングなど、個人のスキルとは別な要素で躓くケースも見られるからである。

しかるに、リスクはあるものの、自身の経験やノウハウを社会に還元したり、若い世代を育成するという「人生の中でも最も意義深いと思われる転職」が、この45歳前後の転職だと小職は考えている。ただ、自分自身の出世や立場、処遇のより良い条件の獲得よりも、むしろ「お世話になった自分を世に返す」度合というか、社会性が強く出た性格の転職の方が成功する確率が高いのは皮肉なことだなあ、とも思う。

もう一つ、私の体験を通して転職当時を振り返ってみて気付くことがある。私の人生の初めての転職は44歳だった。以来10年余りこの仕事を続けている訳であるが、当時２２年間務めてきた企業を去るにあたりずっとある言葉が頭の中で回転していた。それは、もとＧＥのジャック・ウェルチ会長の言葉だったと思うが、「Control your destiny, or someone else will.」である。意訳すると、「自分の運命のたずなは自分で握れ、さもないと一生他人に左右されて人生を送ることになるだろう。」という様な意味だろうか？これが自分の強迫観念と言ったら少し大袈裟かもしれないが、ずっと頭から離れなかった事を記憶している。

手前味噌ではあるが、この様な覚悟は重要で、必ずしも転職は容易いことではないが、たとえ過酷な体験に出会っても、自分の判断で自分の人生を生きようと思った結果ではないか・・・と諦めもつくし頑張りも利くのではないか？と思うのである。ある哲学者が、「生きる為に食べるか？食べる為に生きるか？」と簡潔だが強烈な言葉を残している。生活の為に働くこと自体が悪い訳では勿論ないし、そうせざるを得ない場合も理解できるのだが、よりよく生きる為に働く、すなわち自分を最大限に活そうとする気持ちがあれば、少しは社会にもお役に立てる度合も多く、結果的に転職は成功する確率が高い様な気がする。

さて、貴方はどちらですか？
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         <pubDate>Tue, 08 Nov 2011 16:29:20 +0900</pubDate>
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         <title>「竹内美奈子の代表ブログを更新しました。」 [ニュースリリース]</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.stantonchase.co.jp/03exblog/takeuchi/log/2011/09/post_36.html">「ロシアに行ってきました。」
　　　　　　～　ロシア経済と日本、そして、アナスタシアのこと　～</a>]]></description>
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         <pubDate>Mon, 17 Oct 2011 15:05:50 +0900</pubDate>
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         <title>「下野稔の代表ブログを更新しました。」 [ニュースリリース]</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.stantonchase.co.jp/03exblog/shimono/log/2011/10/post_46.html">何故、我々は前金制をとっているのか？・・・我々のコンサルティング活動</a>]]></description>
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         <pubDate>Thu, 13 Oct 2011 10:30:26 +0900</pubDate>
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         <title>何故、我々は前金制をとっているのか？・・・我々のコンサルティング活動 [下野 稔の代表ブログ]</title>
         <description>我々エクゼクティブ・サーチの仕事は、経営幹部のプレースメントによる組織強化がその目的ではあるが、実はプレースメント（人材の補充）は氷山の一角であり、８０％～９０％の作業は、コンサルティング活動である。二つの対象に対するコンサルティングである、候補者と顧客である。

一般的に、エクゼクティブ・サーチは、顧客からの「求人仕様」に基づいて、人材探索をし、結果的に求められる人材をプレースメントする。人材探索のターゲットになるのは、基本的に「現職のエース人材」である。従って、候補者は特に転職を具体的に考えている方は比較的少なく、彼ら、彼女らをお誘いし、クオリファイしモチベートして、顧客との面談をセットアップする。シンプルに言うとそれだけなのであるが、候補者との面談の中でキーポイントとなるのが、候補者の今後のキャリアパスの中で、社内外の次のチャレンジが「意味あるステップ」かどうか・・・を候補者と共にディスカッションし、今までの当社の過去の事例等とのベンチマークなどを通して、比較・検討・検証してゆくステップである。人ごとではなく自分自身の近い将来像を仮説を立てて想像してゆかねばならないので、候補者にとっては慣れない、なかなか難しい作業なのであるが、我々は候補者の今後を、過去の類似性の高い候補者のＢｅｆｏｒｅ　Ａｆｔｅｒのデータをもとに推測し予測する、コンサルティング・サポートをする立場である。

一方、顧客側もシニア人材を中途で高いフィーを払ってまで招聘したい・・・というニーズを持っているからには、今のところ社内には適当な人材が見当たらないので、外から招くというケースが多いのは道理である。期待される人材は、ある部門の立て直しや、新事業の立上げや、グローバル展開の加速や、社内の文化を変えたいなど、なかなかの難問を解決できる能力を持った方、という場合が多い。さて、ここで難しい問題が生じてくる。

第一点として、果たして顧客側が求められる人物像を、いわゆる、「求人仕様」に具体的に落とせるのか？という根本的な問題である。何故ならば、現在会社には存在しないが、世間には存在するだろう人材のエースに対する優れた想像力が顧客に要求されるからである。
第二点として、会社の持つカルチャーというものがあるが、風土を変えたり、グローバル対応をしたり、新しいビジネスを始めたりするとすれば、どの様な人材を受け入れ、その為には従来の会社のカルチャーのどこを残し、どこに対して妥協点を見出すか？という問題である。

よく社内にいない人材にも拘わらず、求人仕様についてはかなりの自信を持っていらっしゃる顧客や、新しい方向性に会社を変えよう、と言っておきながら、従来の会社のカルチャーについては、びた一文変えられない、という「既存カルチャーへの執着」の強い顧客は意外に多いのである。これらの二点について、具体的で示唆に富むアドバイスを差し上げるのが我々エクゼクティブサーチの仕事ではあるが、１０年以上このビジネスに携わり、様々な案件に遭遇して来たが、今もって難しいコンサルティング作業である、というのが実感だ。

例えば・・・ある大手企業では、直営店を全国展開しておりシェアＮｏ．1である。この業界のビジネスモデルは過去３０年間変化しておらず、少子高齢化から売上、利益とも頭打ちの感があり、より筋肉体質への体質改善や新しいサービスビジネスへの転換により新規顧客を取り込みを迫られている。新しいビジネスモデルを打ちたて、サービス産業への脱皮をする為に外部からトップを招聘することにした、と仮定してみよう。さて、この求人仕様とは如何なるものになるだろうか・・・？

勿論、業界知識、直営店舗経験、サービスビジネスへの造詣、トップマネジメントとしての経験年数、規模、成長ステージ、立て直し経験など、思いつくスキル・セットはあるが、どのマーケットのどの様な人材にターゲットを絞るか、の仮設を立て、それを検証してゆかねばならない。それには、かなり顧客の懐に飛び込んで、現状の課題、目指すべき方向性に対しコンサルティングしてゆく能力と、今までのベンチマーク出来る候補者の経営者モデルとのスキルズ・マッチングしたり、その候補者の本来のポテンシャルに対する深い洞察力が求められる。

求人仕様は人材探索の第一歩であり、一般的には顧客側が明確にしなければならない訳ではあるが、その第一歩こそが難しいのだ。我々としては、度重なる求人仕様の変更は追加料金を請求するシステムとなっているが、実は顧客側に一任するのではなく、ここにこそ我々エクゼクティブ・サーチが関与し有効なアドバイスを差し上げるキー・ポイントがある。ここを間違えると、プロジェクトが長期化する根本原因を作る結果となってしまう。我々にとっても死活問題なのである。こういったコンサルティング活動がまずプロジェクト・スタート時点から発生し、これがパフォーマンスに大きな影響を及ぼすことはご理解頂けるだろうか？

ここに、我々がプロジェクトをキックする前に顧客に前受金（リテーナ-）を請求する理由がある。</description>
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         <pubDate>Thu, 13 Oct 2011 10:07:05 +0900</pubDate>
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